
PUNK ROCK REVOLUTION IN THE P.R.C.
北京のロックシーンを代表し、正にカルチャーショック寸前まで盛り上がっているブレインフェイラー! 彼らに対して偏見を持つことは本当にナンセンス。音楽に言葉も国境も関係ない…彼らはそれを見事に実践し、音楽の歴史を切り開いてゆく!
97年に北京初のパンク/ハードコアバンド、BRAIN FAILURE(脳濁)が結成される。翌年からは今では伝説となっている、北京パンクの聖地と呼ばれたライブハウス「SCREAM CLUB」を活動の拠点とし、北京のパンクバンド初の自主制作デモテープ「パンクは中国を照らす」を発売。当時まだ高校生ながらも、強烈なハードコア・サ ウンドとシャオロン独特の歌詞は、北京パンクシーンにおいてBRAIN FAILUREを不動の地位へと押し上げる。
シャオロンは中国で初めてモヒカンにしたパンクロッカーで、左手に安物のギター、右手をぶらぶらさせ、でかすぎる靴を履き、うつむき呟きながら北京の街をぶらつく、当時の彼のスタイルこそが今の北京パンクスのスタンダードになったとも言われている。
99年夏にはSCREAM CLUBで人気を博した4バンドのオムニバスCD「Wuliao Contingent(無聊軍隊)」がリリースされる。このアルバムは現在でも中国のパンクファンやパンクアーティストの間でバイブルとなっている。また 同じ年に、シャオロンがリーバイスヨーロッパのイメージキャラクターに抜擢され、同CMに彼らの楽曲「MY HARD CORE」が使用されたり、7′EPがアメリカで発売されるなど、世界的な注目を集め始める。
2000年、G.ワンジェンとDr.シューリン、友人のアメリカ人Ba.デイビッドを加えた新生BRAIN FAILUREとして活動を再開。音楽性もかつてのハードコアスタイルから、THE CLASHやRANCIDを彷彿とさせる現在のストリートパンクスタイルへとシフトチェンジしていく。
2001年にはBa.デイビッドがアメリカに帰国のため脱退、B.シーシュードンが加入。この頃から日本やその他海外からのツアーバンドのサポートを北京にてこなし始め、2002年には初めての海外ツアーを日本で敢行、13公演を成功させる。
そして2003年からは活動の拠点をアメリカに移し、3月にSXSWの出演を含むアメリカツアー(11公演)、10月にはCMJの出演を含むアメリカツ アー(10公演)を行った。このアメリカツアーではDROPKICK MURPHYS、THE CASUALTIES、Roger Miret & The Disasters、DILLINGER FOUR等と共演を果たし、特にDROPKICK MURPHYSとは親しい仲となり、リーダーでありベーシストのKenには気に入られ、プロデュースの話を持ちかけられた。また、ツアー中には RANCIDのラーズがライブを見に来るというサプライズも発生!
2004年1月にはアメリカのボストンへ渡り、前出のDROPKICK MURPHYSのKen Caseyプロデュースの下、郊外のスタジオにて待望の2ndアルバムをレコーディング。レコーディング終了後、DROPKICK MURPHYSと1週間の東海岸ツアーを行う。このツアーではSTIFF LITTLE FINGERS、THE UNSEENとも共演。
8/21 には上記にてレコーディングしたアルバム“AMERICAN DREAMER”が日本で発売となった他、秋にはRANCIDのティムが主宰するHellcatの人気コンピ“GIVE EM THE BOOT”の最新作へ参加、11月のDROPKICK MURPHYSの日本ツアーに同行し、話題・注目度も急上昇!
05年に突入してからはTHE UNSEENとの全米ツアーを始め、DROP KICK MURPHYSが主催する“St. Patricks Day”の最終日に出演するという快進撃を続け、4月には満を持してアメリカのTHORP RECORDSより全米レコードデビューを果たした。
2005年5月にBa.シーシュードンが脱退、現Ba.のマー・ジーリァンが加入し現在のメンバーとなる。
夏には全世界のパンクス憧れの舞台、あの“WARPED TOUR 05”へ中国のバンドとしては初の出演を果たす。9月にはドイツのPEOPLE LIKE U Recordsより待望のヨーロッパ・デビューも果たし、10月には再びアメリカ・ツアーをSTREET DOGSと共に行う。
06年に入ってすぐに7度目の渡米、プロデューサーに再びKen Caseyを迎え全米で人気急上昇中のボストンのパンクバンドBIG D AND THE KIDS TABLEとスプリットアルバムをレコーディング、3月から7月まではDROP KICK MURPHYSやTHE BUSINESSらと全米でなんと5ヶ月で120本にも及ぶ苛酷なライブツアーを展開。
10月には中国の国慶節休暇中に行われた史上最大級のロックフェスティバル「第1回中国増城(広東省)ロック&ビールフェス」及び「2006北京ロック&ビールフェス」にヘッドライナーとして参加、中国パンクバンド代表の地位を不動のものとした。
11月には全中国ツアーを敢行、全国10カ所でライブを繰り広げ、中国の各主要メディアでもその様子が取り上げられ、話題をさらった。
07 年2月には昨年ボストンにてレコーディングを済ませていたBig D and Kids Tableとのスプリット・アルバム「Beijing To Boston〜米中首脳会談」を、日本とアメリカにて満を持して発売。プロデューサーのKen Caseyをして「Bostonのベストが北京のベストに出会った!この惑星で最強の二つのライブバンドたちだ!」と言わしめたこのアルバムは、遠く離れ たアメリカと日本の両国でスマッシュ・ヒットとなる。
このアルバムの発売後、バンドは一旦活動拠点を久々に中国国内に移し、まず3月 に中国国内では1stアルバムとなる「Coming Down To Beijing」をリリース。このアルバムでは海外1stアルバム「Turn On The Distortion」の中のキラー・チューンである”Coming Down To Beijing”を、アメリカでレコーディングした最新の音源(スプリット・アルバムに収録された バージョン)に置き換え、更にBig D and the Kids Tableの曲”Digging in Your Nails”をボーナストラックとして追加した。わずか2週間で1stロットを売り切るなど、全体的には下降気味の中国ロックバンドのアルバムの売上の中 で驚異的な成績を残した。またアルバム発売後に2ヶ月にわたる22本の中国全国レコ発ツアー「Coming Down To Beijing」を敢行、各地のライブハウスを興奮の渦に巻き込んだ。
4月には日本最大級のパンクフェス「Punk Spring ‘07(幕張メッセ)」に中国代表バンドとして招聘され、NOFX・New Found Groly・Jimmy Eat The World・Dropkick Murphys・Ellegarden・Ken Yokoyama・マキシマムザホルモン・B-DASHなどとの共演を果たす。
またほぼ同時期に中国北京で行われた国内バンドを中心に集めた中国最大級のロックフェス「MIDIロックフェス」にヘッドライナーとして出演。
9 月には急遽トルコ・ イスタンブールにて2年ごとに開催される伝統的なコンテンポラリー・アート展「イスタンブール2年祭」に招聘され、中国のバンドとしてはもちろん、ロック バンドとして初めて中国の芸術家顔磊(イエン・レイ)氏の作品としてライブを披露、各国の大使や芸術家から絶賛された。
その直後に急いで北京に戻り、海外からのバンドを集めて北京で行われた 「Beijing Pop Festival ‘07」のメインステージに中国ロックバンド代表の1つとしてメインステージに出演、Nine Inch Nails・Ramones・Public Enemy・RIZE(日本)・Ra:iN(日本)ら大物海外アーティストと共演した。
年末には前出のBig D and the Kids Tableとのアメリカ・カナダツアー「Steady Riot Tour」にて初めてカナダへの進出を果たす予定である。
ブレインフェイラーのこれまでのアメリカツアーの実績は既に7回、300本以上を誇り、Warped Tour・Punk Spring・MIDI Fes・Beijing Pop Fes等国内外の数々のロックフェス参加やトルコの芸術祭出演など、その実績と経験によって裏付けされたライブの実力は、中国の他のバンドの追随を許さな い。また本場中国では中国パンクバンドの最高峰であり、中国ロックバンドの代表格として、大型ロックフェスには欠かせない存在となっている。
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MEMBER
(左から)
Gt.王囝 (Wang Jian、ワンジエン)
Dr.許林 (Xu Lin、シューリン)
Vo.肖容 (Xiao Rong、シャオロン)
Ba.馬継亮 (Ma Jiliang、マージーリアン)
History:
| 1997年 | バンド結成、今や中国で伝説となっている北京パンクの聖地、Scream Clubにてライブを行い、北京パンクシーンの中で不動の地位を築く。 |
| 1999年 | 中国京文レコードからパンクオムニバスアルバム“Wuliao Contingent”が発売され、Brain Failureが代表として収録される。 |
| 1999年 | ヨーロッパのLEVI’Sイメージキャラクターとなり、イギリスのBBHの招待を受けてLEVI’SジーンズのCMに出演。 |
| 2002年 | 1ヶ月17カ所を回る日本ツアーを敢行。 |
| 2002年 | BAD NEWSにより1st Album “TURN ON THE DISTORTION”が日本限定で発売される。 |
| 2002年8月 | 8月17日に雲南麗江で行われた雪山ロックフェスに参加。中国ロックの父・崔健(ツイジエン)や韓国のLAZYBONEと共演。 |
| 2002年10月 | 北京のMIDI音楽学校主催のMIDIフェスティバルに参加。 |
| 2003年 | BAD NEWS音楽出版と正式にアーティスト契約。 |
| 2003年3月 | 2回のアメリカツアーと2回の日本ツアー(4カ所)を敢行。 |
| 2004年1月 | アメリカ・ボストンで3週間を費やして2nd Album “AMERICAN DREAMER”をレコーディング。プロデューサーはDropkick MurphysのKen Casey。 |
| 2004年2月 | Dropkick Murphysと2週間のアメリカ東海岸ツアーを敢行(9カ所の大型ライブハウス)。 |
| 2004年8月 | BAD NEWSより2nd Album “AMERICAN DREAMER”が日本限定で発売される。 |
| 2004年11月 | アメリカのHELLCAT RECORDSが発行している世界最大のパンクオムニバス “GIVE’EM THE BOOT 4”に参加。 |
| 2004年12-05年1月 | 全中国ツアー敢行。 |
| 2005年2-4月 | 2ヶ月半、40カ所以上のアメリカツアーを敢行。 |
| 2005年2月 | オフィシャルサイト www.brainfailure.com 正式オープン。 |
| 2005年4月 | アメリカにてTHORP RECORDSと契約、2nd Album “AMERICAN DREAMER” をアメリカ限定で発行。 |
| 2005年5月 | B.マージーリアンが正式加入。 |
| 2005年8月 | 世界的に有名なアメリカの大型パンクツアー “VANS WARPED TOUR ‘05” に参加。1ヶ月のアメリカツアーを敢行。 |
| 2005年10-11月 | 全米ツアー敢行 (2005年にはアメリカで約半年、100本以上のライブを行う) |
| 2005年12月 | 中国全国ツアー敢行(8カ所)。 |
| 2006年2月 | アメリカ・ボストンにてアメリカの人気パンクバンド “BIG D” とのSplit Albumをレコーディング。 |
| 2006年3-7月 | 全米ツアー敢行(5ヶ月120本)。 |
| 2006年10月 | 第1回中国増城(広東省)ロック&ビールフェスに参加。 |
| 2006年10月 | 2006北京ロック&ビールフェスに参加。また当日最後に出演した中国の大御所バンド唐朝(タン・ダイナスティ)と共に、最後を締めくくる “インターナショナル” を熱唱。 |
| 2006年10-12月 | 全中国ツアー。移動中Vo.シャオロンが電車内で負傷する事件があり、中断を余儀なくされるが10カ所でのライブを敢行。 |
| 2007年2月 | アメリカにてBig D and The Kids TableとのSplit Album “Beijing To Boston”がリリース(Bad News Records)。 |
| 2007年3月 | 中国にて1stアルバムとなる”Coming Down To Beijing(歓迎来到北京)”がリリース(版権提供:Bad News Records 発行:中国音楽家音像出版社 流通:摩登天空Modern Sky) |
| 2007年4月 | 日本最大級のパンクフェス”Punk Spring ‘07(約20000人)”及び”Punk Spring After Party(約5000人)”でNOFXと共演。また東京のライブハウスで2本のイベントに参加。 |
| 2007年4月-5月 | 中国国内1stアルバムレコ発ツアー(22本) |
| 2007年5月 | 中国最大のロックフェス”2007 MIDI Modern Music Festival(約80000人)”に参加。 |
| 2007年9月 | トルコ・イスタンブールで開催された”イスタンブール2年祭”にバンド作品として参加。 |
| 2007年9月 | 北 京で海外のバンドを呼んで行われるイベントとしては最大のロックフェス”Beijing Pop Festival ‘07(会場:北京朝陽公園)”のメインステージに中国バンド代表として出演。Nine Inch Nails・Ramones・Public Enemy・RIZE(日本)・Ra:iN(日本)らと共演。 |
| 2007年9月 | 中国最大のロックポータルサイト「Rock Year」8周年イベントにヘッドライナーとして参加、北京最大のライブハウス「Star Live(星光現場)」デビュー。 |
| 2007年11-12月 | Big D and the Kids Tableとのアメリカ・カナダツアー”Steady Riot Tour”全24本を予定。初めてカナダに進出。 |
参加した作品等:
| 1999年 | 台湾の有名な作詞家で作家の夏羽に、楽曲 “頽廃末帝国” を提供 |
| 1999年 | パンクオムニバス “Wuliao Contingent(無聊軍隊)” に参加(北京京文レコード) |
| 2002年 | 1st album “TURN ON THE DISTORTION” 日本限定発行 |
| 2003年 | 1st album “TURN ON THE DISTORTION” がBAD NEWS RECORDSにより改版され発行 |
| 2004年 | 2nd Album “AMERICAN DREAMER”が日本限定発行(Bad News Records) |
| 2004年 | 世界最大のパンクオムニバス “GIVE’EM THE BOOT IV” に参加(アメリカHELLCAT RECORDS発行) |
| 2005年 | 2nd album “AMERICAN DREAMER” がアメリカで発行(THORP Records) |
| 2007年 | BIG D AND THE KIDS TABLEとのSplit Album “BEIJING TO BOSTON”発売(2月20日米国・カナダ、21日日本) |
| 2007年 | 中国国内1stアルバム”Coming Down To Beijing(歓迎来到北京)”がリリース(版権提供:Bad News Records 発行:中国音楽家音像出版社 流通:摩登天空Modern Sky) |
掲載されたメディア:
《中国メディア》
中 国中央テレビ(CCTV)、中央テレビ局ネット版(iCCTV)、中国国際ラジオ(CRI)、新京報、1626雑誌、音楽週刊、当代歌壇、精品購物指南、 南方周末、我愛揺滾樂、通俗歌曲、CITYWEEKEND、THAT’S BEIJING、生活周刊、男人装、Yoho!潮流誌、Hit軽音楽、Tencent Rock QQ、Sina.com
《国外メディア》
NEWS WEEK、DETAIL MAGAZINE、SOUTHERN CHINA MORNING POST、THE FACE、BBC、ABC、CHANNEL V、NHK、Grind house、DOLL MAGAZINE、FOLLOW UP(JAPAN)、留学生新聞(日本) etc…